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ぼろみけブログ

不安障害と自律神経失調症とHSPと・・・自分の人生を生きたい

自己肯定感を他人に託すということ

今はすっかり有名人になった某人。ずーっと前から俳優とか音楽活動もしてたみたいだけど、今、ものすごい人気。あのサブカルな感じ、面白くて下ネタだって気持ち悪くない、演技もできて文章も書けて歌も歌えて楽器も弾けて…現代の女子が求める男性像に近いんでしょうかね。私も結構ファンでアルバムも集めだしていた所。

そんな彼と一時期交際していたとされる某人(以下彼女と書く)。私は彼女のファンで、アルバムも全部ウォークマンに入ってる。歌詞の内容というより、彼女の作曲センスとか、「女の子らしさ」が絶妙に滲む日本語の独特な使い方が好きなのだ。

私はこの2人を好きだったから、2人が交際していると報道があったときには嬉しくてときめいた。そしてどうやら別れたようだ、との報道があったときには「嘘やろ?!」と必要以上にショックを受けた。

 

そう、ショックを受けた。数年経った今も復縁を願うほど。

いくらファンとはいえ、彼女に対して感情移入しすぎではないか?と思う。なんで!ねぇ、なんで別れたの!←怖い。

 

ふたりのファンだったしお似合いだったし応援してたから成就してほしいなーと思うのは当然のこと。

でも、別れちゃったんならしょうがない。事情があったんだろう。残念だな。と、芸能人に対して思うのはせいぜいこの位じゃないだろうか?

なんでこんなに?と思ってる時に、たまたまピンとくる文章を目にした。

 

その文章を自分の解釈で書き直してみるとこうだ。

自分が好きだと思っている芸能人とかって、その芸能人を自分の代用として見てるところがある。その芸能人が褒められれば嬉しい、貶されれば悲しい、という感情があるのはその芸能人に自分の一部、分身?みたいなのを託してるってこと。

その芸能人が活躍してチヤホヤされることによって、自分がさもチヤホヤされているように感じて、「自己肯定感」を得ているところがあるんじゃないか。

自己肯定感が低い人ほど、こういう所がある。自分で自分を肯定しきれない時、こういう所で自己肯定感を補っているのではないか。

…まあこんな感じ。

 

で、私はなるほどーなるほどなーと思った。

というのは、私はまさにその彼女と私を重ねて見ているところがあったから。よく人から、彼女と似てるよねーーー!!!!と言われることがあって、まあファンだし、世間一般には「ブサカワ」とか言われてようと私は可愛いと思うしもちろん男性ファンもいるし。彼氏は私の好きな某氏だし。似てる、と言われる回数が増える度に、無意識に彼女と自分を重ねていた。彼女が可愛い面白い大好きと言われているのを聞く度、あら、本当?とまっっっったく関係ない私が喜んでいたりして。なんなんだ私は。

そういうのがあって、2人が付き合ってるって事実は(私にもああいう素敵な人と付き合える可能性が無きにしも非ずなんだ)という幻想を私に抱かせていたのだった。

そして別れてしまったというのを知って、別れを疑似体験した、といえば言いすぎだが彼女側に感情移入して(歌という感情移入しやすい材料もあるし)、なんで…さみしい…みたいになってしまったのだと思う。

いやー、これは納得。気持ち悪いなあ自分。

 

自己肯定感が低いのって、別にそんなに珍しいことでもなくて自己肯定感すごい高い人の方が珍しいと思うんだけど

なんか、自分を認めて貰えるチャンスを芸能人に託してるのって寂しいというか。だって芸能人だよ。住む世界違いすぎる。託すとしてももっと身近なところで託せないのかな。

と思ったりした。

 

昨日、友人に「私めっちゃブスで」って話してたのを遮られて否定された。ブスなんてことはありえないと。その他もろもろ褒めてくれた。それがもう、かなり嬉しくて。そこで気づいたのは、周りに褒めてくれる人が居ないと(周りに家族とか身近すぎる人しかいないっていう状況)か、1人の時間が長ければ長いほど自己肯定感は低くなっていくんだなってこと。視野がどんどん狭くなっていって、あるのはネットの一部の世界で。ネットに晒してある一般人の顔なんてイマドキ可愛い子しかいないから。ほんとに。

 

自己肯定感が低ければ低いで、もっと何か寂しさの少ない方法で肯定を得たいと思った今日この頃。

眠くて日本語がおかしいかも。

今日の胃はだいぶいいです、あと30%ってとこかな。

 

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