ぼろみけブログ

不安障害と自律神経失調症とHSPと・・・自分の人生を生きたい

思考力のなさについて①

なんかすごいダルい。今日、新しい冷蔵庫来たんですけど、その準備と後片付けが意外に大変で。終って業者さんが帰ったあとからドッと疲れが来ました。といっても私、冷蔵庫の中身の移し替えとか近辺の整理しかしてないんですよ、なんで?それくらいの事で?と言いたくなる不思議な疲れです。しかも何故か気分が鬱々としています。こんなの冷蔵庫のせいだけじゃない気がするんだけど、父も同じタイミングでドッと怠さが来たようでして。それでいま、我が家の空気が重い。すごいアホっぽいけど、古い冷蔵庫が私ん家の元気を吸い取って行ったか、新しい冷蔵庫が私ん家の元気を吸い取ってんのかと思うくらいです。

 

ここにちょっと引っかかるんだな。

 

私は結構、些細な変化に気づく事が多いんですけど(家電の音が変わった、自分の味覚がいつもと違う、さっきからあの人の視線が落ち着いてない、など)、変化に対して「〜だからそうなってるんだろうな」という、納得する形で自分の中に落とし込むのが下手なような気がします。今日で言うと、「新しい冷蔵庫が来ただけで疲れた、なんで?なんで?なんで?なんで?」と浮かんだ疑問に対して自分の中で納得させるどころか執着するかのような思考になっていきます。それによって「疲れている自分」をやたら意識するようになってしまい、だるいだるいだるい、となってしまうのです。で、その状態がしんどいからとりあえず「冷蔵庫が元気を吸い取ってる」っていうフワッフワしたアホっぽい結論で自分の中に無理やり落とし込むのです。

 

なんでこうなのかなぁと考えていたんですが、もう行き着くところはこれじゃないかと。

 

圧倒的、思考力のなさ。

 

(超ダサいキャッチコピーっぽい)

 

だって私、もう前の記事とかでバレてると思うんですけど検索魔なんですよ。なんで?!と思ったら即検索!ググるまでコンマ1秒!みたいな。どんだけ。

小学生からパソコン触ってたガキなので、もう癖なんですかね。

それで平穏無事に納得できればいいんだけど、検索結果が全て正解だ と思ってしまってひどく動揺したりすることもあります。自分には極端な面が沢山あって、これもそのうちの一つ。考えが極端であるからこそ、疑問に対して過剰に正しい解答とか真理とかを求めてしまいます。

一歩離れて見てみれば、正しい答えが無いことなんて腐るほどある、というのを理解できます。人は一人ひとり違う気質体質を持って生きているわけで、まさにこの世に"絶対なんて絶対ない"。正解がある世界って、なんだろ、理系の世界とか?

今日の冷蔵庫にしたって、ホントに中身の移し替えに神経質になってたから気を使って疲れたのかもしれないし、今日の午後から雨だからその気圧変化による怠さかもしれないし、今日のベースの体調がもともと良くなかっただけかもしれないし、心配事が最近1つ増えちゃってそれに気を囚われているのかもしれないし…もう挙げればキリがないです。このように、複数の原因が組み合わさってたまたまひとつの現象が起きているパターンっていうのは、実はとても多いんじゃないかと考えることもできます。

なのに私ったら、なんでなんで?と考えた末にあのフワッフワした結論ですよ。

 

多分、全然考えてないんですよね。なんでなんでという割に。真剣に考えるのって、時間も気力も使いますから。やってみれば分かる通り、体で別のことをしながら頭で真剣に考えるというのはなかなか難しいものです。だからとりあえず検索してチャッチャと結論だそうぜ、手元にネットがあるのだから。と。

楽してこの疑問から離れたい。楽してこのしんどさから離れたい。

正しい情報は素早く与えられてor手に入れられて当たり前だ!という、受け身の体勢でここ二十数年生きてきたために、私は自分で考える力というのを失っているのだと思います。それだけじゃありません、他人軸で生きてきたからこそ、自分の考える力を鍛える機会が今までなかったのだと思っています。

考える力がつけば多面的な見方ができるので、疑問に対する回答がいくつも増えるのではないでしょうか。自分の中に落とし込める回答らしきものがたくさん増えたなら、納得できる回数も増えるわけです。なんで?の回数は減ってゆく。はず。

 

さて思考力を鍛える必要性が見えてきたところで

とても長くなってしまったけれど、思考力のなさについてはまだ書きたいことがあるので、次回に続けるとしますね。