ぼろみけブログ

不安障害と自律神経失調症とHSPと・・・自分の人生を生きたい

私に近づく私

かつて私にとってブログは安住の地であった、ように思う。

それは覚えてるけど、何書いてたかさっぱり思い出せないや。きっとポエマーだったんだと思う。きっと自虐的に笑いを取ったりしてた。たまに自撮りを載せたり、あるいは友人とのプリクラを載せて、自己満足の海に浸っていたんだろう。あぁ、ちょっと思い出してきた。

何個も、何回も、ブログ作っては辞め、ブログ友達を増やし親しくなれば離れていった。

青春の日々に私は目の前の人たちとは触れ合わず、ネットの住人と仲良しこよしだった。いや、もちろん友達は沢山いたし親友にも恵まれていたのだけど。

ネット上で恋愛ごっこ(ネト恋って死語?)をしたのは、もう黒歴史を通り越してあれは事実だったのか定かでないくらいなのだが、きっと相手も黒歴史にすらカウントせず忘れ去っていることだろう。というか、そうであってくれ。私、ネト恋のプロだったんじゃないかな、数人いたものそういう人。出会うわけでもなく、メールのやりとり、写真のやりとり、たまに電話したりして、それだけ。それだけで恋した気になってたの。好きよ、好きだよって、言い合ってね。こわ。これが現代っ子って奴ですよ、危ない危ない。

土日も部活して、朝練したあともびっちり授業受けて、8時に帰って、どこにそんなネット弄る時間があったんだろ。

 

昨日だったか、パソコンで写真の整理をしていた時に大学時代の写メが大量に出てきた。もう卒業して2年が経とうとしている。

2年、という割にはものすごく遠い出来事のようだ。笑顔の私と友達。えー、全然覚えてない。こんなシーン、私の記憶にはない。大体こんな化粧してた?こんな髪形だった?多分毎日体調との闘いだったし、若いし見栄は張りたいし、心ここにあらずだったのではないだろうか。

 

何が言いたいかっていうと、過去を思い出す時、自分という人間が ものすんごいアヤフヤだってこと。

「日記を捨てた話」って記事でもこんな話したな。

 

ふと思う、私は何回も脱皮して生まれ変わっていると。毎日一緒にいる親でも、その変化は伝わっていないかもしれない。見た目には何も変わらないし。だけど、なにかの拍子に、何かのタイミングで、それまでの記憶が薄れ新しい自分が始まってる。どんどん自分が濃くなっていくようだ。最近よく実感してる。いや、脱皮っていうかもう、あまりの過去の自分のあやふやさに何回か死んでんじゃない?っておもう。笑

 

最近の高校生、って言っても私が知りうる高校生はTwitterのフォロワーさんや、従姉妹だけなのだけど「なんて素晴らしい!その年にしてその自我の芽生えよう!自分を持って自分の人生を生きてる!」と思わずには居られない。小説や映画に出てくる高校生(SFとかじゃなくてリアルな学園モノ)にしてもそうだ。テレビで喋ってるアイドルもそう。

みんな、自分の好きなものを知ってて、何をしたいかが分かってて、ほんとにすごい。私は全く、分かってなかったな。心地よいからとか、何となくとか、みんながするからって理由で流れで物事をこなしていたな。

 

中学校のとき国語の先生に、君の将来が楽しみだと言われたことがある。

私の現代文のテストの解答をみて、ほかの生徒にはない考え方が出来る、そして繊細なヤツだと思ったらしい。あの時は「へぇ…?頭いいんじゃん私?」くらいにしか思わなかったけど(バカ)、この感受性の使い方をどうしたらいいかアドバイスを貰っておけばよかったなぁなんて思う。

その先生、その後直ぐ、うつで入院しちゃったんだっけ。どうしてるだろう。なんだか知りたくないな。先生にはどんな顔して会えばいいんだろうな。

 

私の将来いまこうなってます、どんどん濃いやつになってます。とでも言うか。

ろくな大人になれてないけど、どんどんホンモノになってきてます。やっと自分の好きなものが分かってきて、やりたいこともわかってきて、人生ってこんな感じで進んでいくんだって思ってます。自分という人間がどんなものかが分かってから、他人のことも本当の意味でよく考えられるようになってきました。

 

他人の存在って自分が確立してこそだな、そう思ってます。今までずっと周りが何も見えなかったサナギの状態から、脱皮して外に出られてはじめて他者を確認できたような。

 他人軸で生きるっていうのはもう、自分を後回しにしすぎた状態なんだ。

 

今ね、今やっと自分に焦点が合ってる。ってことを書きたかっただけなのにこの長文よ。呆れちまうぜ。

たまたま買った雑誌に、自分軸の作り方という特集ページがあったので感化されて書きました。

 

あー。

今日もお疲れ様でした。あした美容室だー、、