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ぼろみけブログ

不安障害と自律神経失調症とHSPと・・・自分の人生を生きたい

いくら熱を込めて書いたって

所詮他人事なんですよブログって。あとエッセイも。人にとって他人事だと思われることを、面白いって思われてるとしたら、それは書いてる人が天才なのだと思う。だからブロガーしかりエッセイストしかりみんな天才なのね。

 


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何が楽しくて三十分近く寒空の下でバスを待っているんだろう。寒い。はやく暖められたいこの身体。温めてほしい。

 

今日のバイト中、前に書いた、身体のことをもっと大事にしたいって愛したいっていう記事を思い出してた。

どうしたら愛せるのか分からないなぁ。さっきからササクレが痛い。もー手めっちゃシワシワやん。って思った時(考え事ってめちゃくちゃ飛躍してるのね)、ふと気づいた。こういう時が手を愛す?べき?タイミング?なのか?

いつも忙しくて手の保湿なんか作業が一段落するまで後回しだけど今日はすぐハンドクリーム塗って絆創膏貼った。快適。

うん。

 

学生だとして(突然の仮定)、隣りに好きな男の子が居るとして、授業中。その男の子は、小さい声で「いってーー、もう」と指を見ている。私は「どうした?」って聞く。「ささくれ」と男の子。赤くなった指先を見せてくる。ここぞとばかりに私は「痛そう」と言ってポッケをガサゴソ、「貼る?」と絆創膏を差し出す。「おっ、サンキュ」男の子は私の顔も見ず絆創膏を受け取った。

…という青春時代を送りたかったなぁ、好きな子に絆創膏をあげたい人生だった。もう叶わぬ。

って、そういう話ではなくて、要は好きな人の身体を労るときって何する?って考えればいいんじゃないかって。思った。くしゃみしてたらそれだけで「大丈夫?」って聞く、聞きたくなる、声をかけずにいられない、あの気持ちを自分に向けてみるのは、どうだろう。

今になってさっきの学生のくだり要らなかったなと思ってきた(笑)いま青春小説読み終わったばっかで引きずってるのかも。痛い。

 

あ、ささくれって言う?さかむけって言う?どっちでもいいね?笑

 

最近、ぼんやり思うことある。

「私にはコレが足りない」って思ってばかりじゃ自分らしさはうまれないなって。足りないもの埋めたところで、「足りないものを埋めた自分」でしかないなって。

例えば私に足りないもの。青春時代の充実した思い出、自動車運転免許、正社員の経験、恋愛経験。などなど

これらを考えてたら、周りの人間がただただ妬ましくなってくる。未だに楽しい大学時代を送ったヤツは全員敵だ(膨大な数である )、と思ってる。運転慣れした自分と同い年の人を見て、もう私の知らないドライブの世界をこの人は知ってるんだよなって妬ましく思う。ドライブの世界ってなんだろ(笑)。とにかく、憎い。普通の人が普通にする経験、というものを片っ端から経験していないようで、自分がとんでもなくつまらない人間に思えてくる。

他人と比べる作業ってなんて無意味なんだろう。ライバル意識持って互いに切磋琢磨してるとかなら ともかく。

私にはコレがない、だからそれをする。っていう思考は、なんていうか、ただただ自分らしさを失う思考だと思ってる。普通の人になりたくて普通じゃない私が普通のフリをする作業。自分らしさを身につけたかったら、もう普通じゃない私でずっといるのがイイんじゃないかな。なんていうか、無理がなくて、そっちの方が自然で。だけどそれは同時に、もっと生きづらくなる道を選ぶことになるんだろうな。

私がここで言ってる普通って、まあ、ウチの姉のような生き方をしてる人かな〜。短大出て給食の先生になってずっと婚約してた彼と結婚、もうすぐ二児の母。っていう人生。私と2学年しか変わらないのにこの順調さ。彼女なりに悩んでいても、それを聞いても、「普通だな」って思う。普通が、自分が、どれだけ幸せか頭では分かってるつもりだけど、本当のところは知る術もない人、というような。伝わる?ごめん分かりにくくて。まあ、姉はとにかく普通。

「アレがないコレがない」から行動に移したとして、その結果は自分らしさを形作るものになるのだろうか?「アレがしたいコレがしたい」から自分らしい生き方になるのではないか?…というのをね、今ぼんやり考えてる。

 

はぁ。

もう10代の青春時代は戻ってこないんだね。

こないだファミレスに久々に行ったんだけど、学生がいっっぱい居て、別の席にも友達が居るのか男の子がファミレス内をウロウロしてたの。それ見て一瞬で 教室 を思い出した。教室の、次の授業までの休み時間。その風景。はぁ。笑

 

今日はここら辺で。

 

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